肝臓癌は、気が付きにくい癌で、突然痛みが来るみたいです。
主人の場合も、胃が痛いと勘違いしていて。
お酒も呑むので、胃もたれと思っていたようです。
仕事関係でゴルフに行った時に、強い胃痛に襲われ、
『一度病院言った方がいいですよー。』
と、部下に言われ病院に行ったのが、癌を知るきっかけに。
本人が、知った時は一体どんな気持ちだったのでしょうか。
自分だったら、受け止めれるのか、想像もつきません。
胃癌の検査などをした日の夜、肝臓の中の癌が、爆発を起こし、激痛を訴え、救急車で運ばれた。これが、入院に行き着いた結果でした。
私すぐ家に、戻れないなあ。
子供たちになんて言おう。
主人の両親たちには?
同時にこんなに沢山の事を考えた事はありませんでした。
まず落ち着かなきゃ。
子供たちには、治すための治療をするという前提で話をしました。
『今の医療は、癌も治るからね。落ち着くまで少し協力してね。ごめんね。』
すぐにお見舞いに行きたい、という息子たちを何とか、来させないよう、いろんな言い訳をして、主人に合わせるのを遅らせました。
その時の主人は、別人でしたから。
常に、凛として、強い夫であり、パパ。
そのイメージを、崩してはいけないと思いました。少し、元気が出るまで待ってて、と。
それは私も同じです。
子供たちの前で泣いちゃいけない。ちゃんとしていないと。
自分の感情を抑えるのが精一杯でした。
痛みはすぐにはとれてはいなかったのでしょうが、1週間、2週間と、味わった事のない時間を、ひたすら、2人で病室で過ごしていました。
痛みが少し和らいだ時に、主人と、少しずつ話をしました。
『保険は大丈夫なのか?部屋の金庫に、証書がある。』
『会社の保険もあるから、、、』
『バイク預けてあるガレージは、この電話番号で、、、』
『もし、俺になんか会った時は、、、』
こんな事を言い始めたのです。
なんでもない時は、冗談で笑い飛ばせていたのに、なんで言っていいのか。
『縁起でもないなぁ。何いってんのー。』
この時の私には、それが、精一杯でした。
いくら強い人でも、こんな時何を考えるのでしょうか?
余命宣告をされたわけではありませんでしたが、夫も、色んなことを、考えたのでしょう。
もちろん、病気についても話しあいました。
セカンドオピニオンを探すのも一つの方法ですし、緩和方法を同時に行う事。
主人の、肝臓癌はステージ4だった上に、爆破を起こしてしまったため、手術は不可能と言われていたので、日本全国の病院も探しました。そして1箇所手術が、可能な病院をみつけたのですが、、、。主人は、手術を拒みました。
『手術したら、また、入院なんだぞ!仕事もできないだろ!お前、俺から、仕事も取り上げるのか!ふざけるなよ!』と。
当たるところもなかった辛さが、私にそんな言葉を投げて来たんだと思います。
でも、治る可能性があるなら。
少しでも元気ななって欲しいから。
そう思うのが、家族です。
仕事も取り上げたのは私?
私の気持ちもどこにぶつけていいのかわからずに、ひたすら耐えていました。
4週間近くたったころ、主治医の先生と話しあい、一時退院して、あとは、月に一度、抗がん剤治療をしていく方向へ、決めていました。
『あの先生がいいな、俺は、、。』
本人の、思う通りにしてあげるのが一番なのかとおもったので。
退院間近なある日、病室で、2人でテレビを観ていた時でした。
ワイドショーで、内容は、小林麻央さんが、癌の治療中だと言う話題でした。
それをみて、主人が言ったのです。
『俺より、麻央ちゃん大変だな。子供小さいし、、副作用も辛そうだね。』と。
プラス思考なのか、本音なのか、心配かけまいとしているのか。
私だけじゃなく、他にもたくさん悩んでる人がいる。
私だけじゃないんだ。
なんとか、頑張っていかなきゃ。
強く思った瞬間でした。
多分、主人もそうだったのかと思います!
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